今期は全般にイマイチで必死で見続けたい作品が少ないので、
口直しってわけでもないけどこれを再見してみました。
妖奇士を見たときに思い出して、むしょーに見たくなってたので。
そして余勢を買ってすっかり忘れていた続きも見てみました。
6巻までは2年半ぶりで7巻以降は7年ぶりに見たよ(10巻以降は初見)。
※7巻までは手持ちのDVDで8巻以降はレンタル
その昔、2期(7巻~)は蛇足と書いたけど確かにそんな印象は受けるかも。
最後まで見ればそうでもないけど2期の前半は物語が全く動かないし。
ランガと虚神が戦うという派手な構図のわりに傍から見ると滑稽だし。
構成的にも7~9巻までの12話が2話1エピソードの読みきり構成だし。
やっぱりなんか蛇足のようなと思い始めて10巻を見たら……
物語はダイナミックに動き始めたのでした。本来の終局に向けて。
凄く派手なオープニングの映像に相応しい展開がやってきましたよ。
まぁでも全体の構成としては1期のほうが断然よく出来てるかなと。
この作品はランガという巨大な有機物状の神様が出てきたり、
死んだ神を技術で蘇らせた虚神という化け物が出てきたりして、
それぞれが自分たちの正義らしきもののために戦ったりします。
だから一見すると怪獣映画と言うか、それがモチーフになってると言うか。
確かに神とか虚神とかがストーリーの本筋だし外枠には違いはないです。
でもこの作品が描こうとしてることはそれだけではなかったりする。
正確にはこの作品で描いてるテーマはそれではないと言うべきか。
この作品の次回予告で何度も使われるフレーズ「楽園はそこにある」
よーするに海潮(うしお)たちが楽園を求める物語というのがテーマです。
自分が、自分たちが、自分を含めたみんなが、自由に生きられる世界。
誰かに縛られない誰にも支配されない、生きたいように生きられる世界。
そんな世界を「楽園」という言葉を使って象徴的に描いてる。
自由に生きるというのはそんなに難しいことではないようにも思える。
だけどそれは無意識に自分の行動に制限をしているからそう思うだけ。
社会の枠から外れようとしたら想像を絶する困難が待っているのだから。
人は成長をするうちにその枠から外れないで生きる術を学んでいく。
いつのまにか自分が縛られてることに気付かなくなっていく。
島原三姉妹もそういう意味では決して例外ではなかったのだけど。
そんな三姉妹の日常に突然出現したネオランガという巨大な神さまは、
水面に投げ込んだ石が波紋を作るように自分たちを縛る鎖を顕にする。
ネオランガの出現によって見えてくるものこそこの作品の本質なのです。
以下は1999~2000年頃に書いた内容を編集(一部修正)したもの。
(ブログにはいつ収録できるかわからないので)
この作品の主人公の三人姉妹は、ひょんなコトから南国の小さな王国の
王位を継承することになる。ただし本人達はそんなこと承知しないけど。
で、その王国の守り神であるネオランガがいきなり東京にやってくる。
ネオランガは守り神だから王のいるところに来るのは当然ってコトで。
武蔵野の小高い丘の上にある三姉妹のただの一軒家が王国の大使館になり。
側に鎮座するネオランガという巨大な怪獣(←メカと生物の中間みたいな)を
見るために観光客やマスコミがあふれ。有事に備え近くに自衛隊が駐屯する。
ネオランガと言うあまりに日常から乖離した出来事を前にして、
繰り広げられるのはひたすら日常的で俗っぽいトラブルの数々。
日常の中に居座った非日常という不思議な違和感がこの作品のポイント。
三姉妹それぞれの性格付けの違いも興味深い。
一番上の魅波(みなみ)は大人で現実のため多少の汚いことも容認するタイプ。
生活のためにネオランガで何か儲けられないかとすら思ってる。
神様で商売をしようとは、なんてバチあたりな!って気もするけど(笑)。
でもキレイごとだけでは生きていけないって分かってる大人だから。
なんとも逞しいなとか思うですよ。
一番下の夕姫(ゆうひ)は自分の欲望に素直なまだ子供とでも言うか。
ネオランガの力があれば自分達の生きたいように生きられるし、
汚いものは無くしてしまえばいい、その力があるのに!とすら思ってる。
ネオランガがただいるだけで邪魔もの扱いした人々を許せないと思ってる。
とりあえず市内を征服しちゃえば誰にも文句を言われないでしょ?と。
「生きたいように生きられないのなら、死んでるのと同じよ」と。
ある意味で最も三姉妹の本音を喋ってるとも言えるね。
真ん中の海潮(うしお)がたぶん主人公。ちょーど大人と子供の中間で。
ネオランガの力があればみんなのためになるコトができると思ってる。
でも、その力をみんなに疎まれてまで使うことができない。
他人を踏みつけてまで自分を通せないぐらいは大人なのだった。
いれば邪魔にするくせに手放していなくなれば今度は寂しがる。
結局人々は自分勝手で自分が傷つくことを恐れてたら何も出来なくて。
「誰にも迷惑をかけないでお祭りはできないよ」ってコトに気付く。
そう、お祭りなんです。まさに日常の中の非日常。
ガムランにのってネオランガが動く。低音の響きと声の合いの手。
ネオランガという存在がよーするに祭りを体現してるよーな感じ。
これ以外にも書いてあったけど蛇足なんで削除。
作品の体裁及びDVDの収録状況について。
1話は15分弱で毎回OP・ED・予告がついてるので本編は通常の半分ほど。
つまり全12巻48話だけど通常の2(1+1)クール相当の長さってことです。
1巻あたり4話収録で5800円(税別)なので実質1話3000円コースな感じ。
あと、今のところDVDはレンタルしてません(レンタルはVHSのみ)。
(レンタル)VHSも収録話数は全く同じです。
エピソード構成は以下のとおり。
(1期)
1~4話。序章。ネオランガが日本にやってきて海潮たちがそれを受け入れる話。
5~7話。邪魔者にされるランガを海潮が街の皆に受け入れてもらおうとする話。
8話。裏で蠢く政治家とヤクザの企みを夕姫がランガを使って叩き潰す話。
9~10話。ランガ景気に沸く武蔵野銀座のスーパー安藤をめぐる事件の話。
11~12話。魅波が巻き込まれた銀行強盗の事件の裏にあった事情という話。
13~14話。ヤクザの浅尾と一緒にいる裕美を海潮が連れ戻そうと奮闘する話。
15~18話。島原の実家のあった村の村おこし祭に三姉妹が呼ばれて行った話。
19~20話。夕姫の学校の理事と近松議員が暗躍してランガを奪おうとする話。
21~24話。アメリカと虚神会によって追い詰められるランガと三姉妹たちの話。
(2期)
25~26話。武蔵野をバロウ独立領にしたものの財政運営は厳しくてな話。
27~28話。正義感に燃える若者たちが徒党を組んで独立領を蹂躙する話。
29~30話。海潮の行動に惚れて交際を申し込んできた少年がいたという話。
31~32話。お金のための仕事で魅波はかつての自分のタレントと再会する話。
33~34話。開発中に暴走した液状の虚神の後片付けをランガがさせられる話。
35~36話。夕姫はクリスマスを嫌ってて無くなってしまえと思ったという話。
37~38話。海潮は夕姫を助けるために人を殺そうとしてしまう話。そして。
39~40話。ランガの中から勝流そっくりの人が出てきて姉妹が浮き足立つ話。
41~42話。最後の虚神と海潮たちのコントロールを離れたランガが戦う話。
43~45話。虚神会によって日本は完全に掌握されたと思ったら実はな話。
46~48話。ランガの敵は絶対神タオの眷属だったという途方もない最後の話。
ちなみにこの作品に出てくる神とは古の自然信仰である多神教の神と
いわゆる一神教の絶対神としての神があって前者がスーラで後者がタオ。
ランガはスーラの唯一の生き残りで虚神は死んだスーラ。
スーラは人の中で生きて人と交わることによって子孫を残してたりする。
島原家はスーラの(遥かなる)末裔という凄い設定もあったりする。
※実家の礼野(れや)の遺跡が全ての始まりだったわけだし