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涼宮ハルヒの憂鬱 6~9話

あいかわらずエピソードの時系列が前後しまくりです。
今回放送分の「孤島症候群」なんて前編の最後に事件が起きて引いて、
翌週には全く違うエピソード「ミステリックサイン」をやるという、
ついて来れるものならついて来やがれ的な構成になってます。
原作を知ってる人以外は置き去りみたいな言われ方もしているね。
でも、初心者にとってそんなに不親切な展開とも思わないけど。
少なくともここに一人原作未読だけど十分について行けてる人がいるから。
最後の3話分を見ないと魅力がわかりにくいTV版AIRよりはずっと親切だし。
などとファンが聞いたら怒り心頭に発しそうなことを言ってみたり。

時系列が前後してるから不親切かと言うと必ずしもそうではないっすね。
特に3話「憂鬱II」→4話「退屈」→5話「憂鬱III」の順は絶妙だなと。
単純に「憂鬱II」から「憂鬱III」だと次々と変な設定を説明されるだけで
理解はすれど実感はできず置いてきぼりを食らった気分に陥るだけだし。
だけど間に「退屈」を挿入することで、先に説明の内容を実感されてる。
これ「退屈」を見た時点では意味も意図もサッパリわからないけど、
次の「憂鬱III」を見るとバラバラのピースが絵になるという親切な構成。

9話の「サムデイ イン ザ レイン」はハルヒ話数によると14話。
と言うことはこのエピソードは時系列的には最終話になるわけで。
ラストのあたりの意味深なシチェーションも最後だからってことで。
でも放送の最終回にこんな内容を放送するわけにはいかんだろうな。
画面の真ん中にほとんど動かない長門有希をロング(構図)で配置して
延々と他の部室(演劇部とか放送部の練習?)の音を流し続けたりするし。
動きまくりの京都アニメでここまで動かさないと逆に感心してしまうよ。
よーするに最終回なんだけど番外編「ある雨の日」みたいな感じ。
放送では途中に挿入してるのも計算づくなんじゃないかと。

「サムデイ イン ザ レイン」のラストあたりのシーンを見てて、
最初からなんとなくそう思ってたことが確信に変わりました。
それは「ハルヒはおそらくキョンが好き」ってこと。
ハルヒにどの程度自覚があるかは分からないけどほぼ間違いなかろう。
と言うかその前提でキャラを描写してあるし物語を構成してある。
この作品はキョン視点だから実にわかりやすいと思うんだけど……
肝心のキョンはセリフでもモノローグでも気づいてるそぶりがまるでない。
よほどニブイのか、それともそんな可能性には気づきたくないのか(爆)。

ハルヒのキョンに対する気持ちが露骨に見えてるのが
キョンが朝比奈さんに鼻の下を伸ばしてるところの反応だね。
例えば野球の回にハルヒが朝比奈さんの髪を束ねようとするけど
目で一瞬だけキョンを見てから束ねるのをやめちゃうでしょ。
「サムデイ イン ザ レイン」のストーブを取りに行く時は、
朝比奈さんが寒いからとキョンの首に(自分の)マフラーを巻くけど、
そこでもハルヒは絶妙なタイミングでさっさと行けと急かすし。

街を探索する回で班分けしたらキョンと朝比奈さんが一緒になるけど
その時のハルヒの態度はこれ以上ないぐらいに不機嫌だし。
ハルヒが「デートじゃないのよ!」とわざわざ念を押すってことは
つまりキョンが朝比奈さんに気があるのを気付いてるわけで。
わざわざ班分けしなおしたのはキョンと一緒になりたかったからだね。
そして結果を見た時の顔……
ここで2回の班分けでハルヒと一緒にならないのはキョンだけで、
どちらの班分けもハルヒは不満な態度だし気持ちがミエミエじゃん。
クジにハルヒの意志が反映してないのは、願望の強さだろうか!?

実は「SOS団」という存在からもハルヒの気持ちが見えたりする。
この同好会のような何かはハルヒが自分が楽しいことをするために
始めた活動なのは視聴者のみんなはもちろん理解してるでしょう。
しかし、実はこの表面的な説明には論理的な整合性が欠けている。
それはハルヒが何かをやりたいなら自分一人でもデキるってところ。
つーかハルヒの行動力を考えたら一人でも十分過ぎるぐらいです。
なのになぜキョンを巻きこんだのか、それは一緒にやりたいから。
SOS団という体裁を取ってるのも一緒にいるための大義名分のような。
つまりハルヒが「キョンと一緒に」楽しいことをするのが本来の目的。

キョン以外のメンバーがハルヒの求める普通でない人たちなのに
キョンだけがごく普通の人間というのも重要なキーポイント。
ハルヒがキョンを好きなら、それはハルヒにとって特別な存在だから。
他の3人がキョンの存在が鍵になるというのも、まさに正しいわけだ。

SOS団はハルヒがキョンと一緒に楽しいことをするという前提だと、
キョンのあまりやる気のない態度はハルヒには不満だろうね。
そりゃあ勝手に巻きこまれてるからやる気があろうハズもなく。
街を探索する時の不満げな態度は一緒の班になれなかったのとは別に
全然やる気のないキョンの対応が気に入らないってのも有るわけで。

野球の回ではやる気のないキョンの態度で世界は崩壊の危機に(爆)。
危機を察知した3人というか主に長門有希によって事態を乗り切るけど。
最後にハルヒが「あんたがそれでいいなら、まぁいいわ」って言うのです。
これって一緒に楽しんでくれたんならまぁいいやって意味なわけで。
ハルヒが自分だけ楽しみたいなら絶対出てこないセリフですよ。
ここなんか「キョンと一緒に楽しみたい」という意図がハッキリ見えるよ。

他にもハルヒの気持ちが見え隠れする瞬間は随所にあります。
例えば2話の席替えの時に再びハルヒとキョンが隣になるけど、
よくよく考えてみたらここは偶然でもなんでもなくハルヒの意志だね。
この時点では好きって程ではなく興味を持ったレベルだろうけど。
それでもキョンはハルヒの中では圧倒的な存在になってるわけで。
と言うかキョン以外の人には興味が無いに等しいだけだけど。

孤島症候群でハルヒとキョンが崖下に落ちて洞窟で雨宿りするけど、
ここでハルヒはキョンに見えないように濡れた服を絞ってたり。
2話で男がいようと平然と服を脱いで着替えてたハルヒがだよ。
少なくともハルヒにとってキョンはそーいう存在には昇格したわけで。
普通の人はミステリーの真相を考えている場面でどこ見てるんだか(笑)。
いやだって、やらせなのは最初の段階で気付いちゃったもんで。
(執事がハルヒを死体から遠ざけてるのでピンと来た)
詳細まではわからなかったけど、おそらくドッキリだろうなと。

「サムデイ イン ザ レイン」のラストの部分は一目瞭然でしょう。
ハルヒのみょーな狼狽っぷりからしてキスでもしようとしたのかな!?

そんな感じで実にエキセントリックな物語にも関わらず、
それぞれのキャラの表情が結構それっぽく描かれていたりして。
現実的な表情を描くと京都アニメの抜群の作画力が生きてくるね。
(TV版AIRは実体感が希薄で絵がキレイだねとしか言えなかったし)
作品における脚本の重要性を改めて実感してしまったり。

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