1月からテレビ東京系(3局)とAT-Xで深夜に放送してた全12話の新番組。
ShowTime・あにてれ他で有料配信中です(最新話無料配信は終わりました)。
※レンタルDVDはセルDVD/BDと同時にリリース(2巻までリリース済)。
現実とは違う世界。近代に極似した世界。そして未来の一つの可能性。
空深(そらみ)カナタは小さい頃に迷子になって出会った女性兵士の
トランペットの演奏に魅せられ喇叭手になるために軍へと入隊をした。
(この世界では音楽は軍隊でしか教えてくれないらしい)
入隊したカナタが配属されたのはセーズという辺境の街の小さな砦。
砦を守る第1121小隊はカナタを含めて全員経験の浅い若い女子ばかり。
それもそのはず、ここセーズはヘルベチアの西の国境に近いとはいえ
国境の向こうには人の住めないノーマンズランドが広がってるだけで
要衝でも何でもない中央には存在を時々忘れられる部隊だったのだから。
そんな戦場から遠く離れた辺境の砦でカナタの新しい日々は始まった。
まず思ったのが、とても意欲的な作品ってことでしょうか。
世界の作りこみといい、画面の描きこみといい、キャラの描写といい、
作品のアプローチといい、物語構成といい、一線を画している感じで。
女キャラばかり並べた萌えアニメなキャラ構成でも作り方次第と言うか。
見てて幾度となく宮崎アニメをイメージすることが有ったぐらいです。
最後に進軍を止めようとするとこなんかまるでナウシカみたいだしね。
※内容は全く似てないです
この作品の宣伝画で最初にイメージしたの現実に近い日常の話でした。
終わりつつある世界ってことでSF的な味付けがしてある?みたいな。
実際に見てみたら軍隊の話でイメージと全然違うじゃんとか思ったよ。
でも軍隊といいながら戦うことはなく日常生活のシーンばっかりで。
最初のイメージは確かに間違ってたけどそんなに遠くなかったかもと。
上にさりげなく書いてあるけど、この作品は(ほとんど)戦いません。
戦場から遠い辺境の5人の少女だけの警備隊なあたりで察しがつくかと。
(少女だからというよりろくに経験の無い人たちというのがポイント)
アニメではそんな部隊でも普通に戦う展開がゴロゴロしてたりするけど
現実だったら戦う可能性のある場所にそんな配置はしないわけで。
それに砦のみんなは積極的に戦いたくて集まった人でもないわけで。
状況的にも意識的にもこの部隊は最後まで積極的に戦わないのです。
最後の方で少しだけ戦うけど、それだって戦わないために戦うのです。
軍隊が舞台になっているのに戦わない作品って凄く斬新じゃないかと。
戦いがないなら何をやるのかというと、よーするに日常生活の話です。
軍隊としての日常も多少はあるけど、いわゆる普通の生活が多いです。
砦の軍隊という普通ではない舞台での普通の生活を描いてるのです。
たった5人でみんな同性なのでどことなく寄宿舎みたいな感じです。
ギムナジウムとかひみつの階段みたいと言って通じるかはアレだけど。
普通ではない舞台の中での女の子たちの日常を描いた作品ってことです。
すごい変化球ではあるけどとっても有りがちな作品だったりするのです。
世界の作りこみや画面の作りこみがそのへんの作品と凄く違うだけで。
その日常のエピソードも凄い事件とかが起きることは滅多になくて、
どちらかと言うと些細な見ようによっては取るに足らない出来事です。
カナタが風邪をひいてリオが薬を求めて奔走するとかそんな感じで。
でもそんな些細な出来事が瑞々しく描かれていてとても面白いのです。
キャラが生きてて、ちょっとした瞬間に感情があふれて来るのです。
些細な話をここまで面白く描けることに感嘆してしまうぐらいです。
些細な出来事の中で積み重なっていく人間模様が有ったりするのです。
そんなアプローチや欧風な街並みを丁寧に描いてる描写があいまって
なんとなくARIAを思い出したよ。行き止まりのとこはまんまだしね。
※ストーリーは似てません
この作品の舞台はセーズという小さな街とその近くにある砦だけです。
上に書いたようにヨーロッパのちょっとした田舎街という感じの舞台です。
とても狭い閉じた世界だけが視界で戦いとか別世界での出来事のようです。
しかし実はこの世界は過去に大きな何かが有って、大半の人々が死んで、
世界の多くが人の住めない土地になって文明も衰退した世界なのです。
それはいつもは感じないけど、ふとした瞬間に実感させられるのです。
街の外にはかつての文明(現代)の痕跡がさりげなく残ってたりするし、
ノーマンズランドという固有名詞の意味を思い知る瞬間があるのです。
こんな世界で生き延びる意味が有るのかってセリフが出てくるけど、
こんな世界になってもまだ愚かしくも戦いを続けるのかって思ったよ。
未来少年コナンでもあんな世界になってなお戦いを続けてたけど。
そーいう意味では戦わない軍隊こそがこの世界での正しい選択かも。
日常的にはほとんどヨーロッパのちょっとした田舎街だけど、
ふとした瞬間に世界が凄くシュリンクされてることを実感したりします。
ヨーロッパな文化の中にさりげなく日本的な文化が登場したりするし。
カナタの故郷はどーやら(現代の)日本の文化を継承した土地みたいで、
お味噌汁やらお盆の精霊馬を作ったりして他の人を驚かせてたりして。
(遺跡の文字とか見てるとセーズ自体が日本が有った場所っぽい)
ヨーロッパの街並みに日本の文化がさりげなく混ざってて面白いね。
つーか普通にガラス風鈴が飾ってあるけどこれ日本の文化のような。
この文化がさりげなく混じってるあたりもARIAを彷彿とします。
この作品は日常の些細な話がメインというかほぼ全部と書いたけど、
それでいったいこの物語にどうケリをつけるのかが凄く気になって、
6話まで見ていったん切ったものの、結局最後まで見てしまいました。
最後まで見るとなんで延々と日常を描いてたのかよくわかります。
あの日々を過ごしてきたからこそ最後にあの結論に至ったわけだから。
凄く生き生きとして魅力的だったけど内容的には些細だった作品が、
クライマックスに向かって一つの大きいな花火をぶち上げるのです。
映画ではないけどまるで映画のような華々しいクライマックスなのです。
同じジブリ風味で派手だけどアレ?な感じで終わったザムドと比べて
こっちはキレイに理想的に物語を終わらせることに成功してるのです。
10話が最終回のように終わって、この後どうするのかと心配したけど、
そんなの全く杞憂に終わるクライマックスがやってくるのです。
この作品の物語は淡々と来て最後に大きな花火を打ち上げる構成です。
でもクライマックスでいきなり物語が動き始めるわけではありません。
途中からきな臭い感じが少しずつ漂い始めるのです。
実は砦のメンバーにもそれぞれに重要な役割が割り当てられてるのです。
ただ単純に属性を割り振った女の子を並べてあるわけじゃないのです。
物語としてそこに存在する必然が一人として欠けずに存在するのです。
(本来は全ての作品がそうであるべきなんですが)
それが日常の些細なエピソードの中で次第に明らかになっていきます。
何の関係もないと思ってたバラバラの設定が繋がっていくのです。
一つ一つのエピソードにも全体としての意味が有るのがわかります。
特にただのメカオタクかと思ってたノエルの背景にはビックリだよ。
実は4話のノエルのセリフには凄く重い意味がこめられてるのです。
世界やキャラや物語をしっかり作りこんでるのを実感させてくれます。
メインキャラだけではなくサブキャラの扱いもよく考えられてます。
エピソード毎のゲストキャラかと思わせて継続して何度も出てきます。
小さな街だからかというのもあるけどサブキャラは何度も出てきます。
サブキャラに存在感が増すことで部隊と街の人たちが繋がってきます。
最初は嫌っていた人ともひょんな切っ掛けでわかり合っていきます。
そしてクライマックスでは街の人たちもカナタたちに協力してくれる。
人と人がわかりあって繋がって行くことが戦わないために必要なこと。
最初から最後まで一貫してこの物語はそんなスタンスなのです。
戦わない軍隊というのはその象徴でありテーマの一端なわけです。
作品については以上で、後は蛇足。
クライマックスのカナタが空に向けてトランペットを吹くシーンを見て
ある古い映画(洋画)を思い出しました。
たぶん20年(より)以上前に深夜にテレビで放送してたやつで、
偶然つけたテレビでやってたのをいつのまにか見入ってたのです。
見たのがあまりに大昔で内容はほとんど覚えてはないんだけど。
戦場でトランペットを吹く青年(喇叭手?)が出る作品だったはず。
ラストに確か人の誰もいない(みんな戦死しちゃった!?)場所で
トランペットを空に向かって吹き続けるんだけど。それが凄く印象的で。
タイトルも内容も全て忘却したのにそこだけ記憶に残ってるのです。
このアニメを見ながらもしかしてスタッフはこの映画を知ってる?
とか思ったよ。ただの偶然の可能性も高いとは思いますが。