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夏のあらし! 7~13話

今さらだけど続きを見てみました。2期ではなく1期の続きです。
(2期についても↓に書いてあります)

最後まで見て思ったのは予想外に感動的でキレイに終わってるってこと。
アニメを見るよりもずっと前に原作の1巻を読んたことがあったけど
その時に想像した内容よりずいぶんと感動的な展開でビックリです。
アニメでは見せ方や内容の膨らませ方で原作よりもさらに感動的だし。
てゆーか今までに見た新房×シャフト作品で一番胸に響いてくるね。
(efはこれ以上に響いてくるけど新房さんが監督じゃないし)
同程度の内容の他の作品との表現力の違いを思い知らさせてくれるなと。

重苦しいシリアスとギャグが一つの作品の中で両立してるのも凄いよ。
原作からそうだけど方向性をより際立たせたアニメでも違和感ないし。
極端な要素が分離せず両立してるのはバランス感覚の賜物だろうなと。
私的には徹底的にシリアスな「夏のあらし!」も見てみたかったかも。
核心に近づく中盤から終盤の印象を考えるとそれもアリだったような。
序盤ってコメディ色が強いせいでキャラの野暮ったさが鼻につくから。
シリアスで徹底してればそのへんはあまり気にならなくなるわけだし。
実際、シリアス色が強くなる中盤以降に印象が良くなってくるから。

上でキレイに終わってるとか書いたけど、それって実は12話のことです。
本筋のストーリーは12話で終わってしまうのです。2話から始まって。
つまり最初の1話と最終の13話は本筋から逸脱したお遊び回なのでした。
そして5話と8話にもお遊びに突っ走った番外編が挿入されてるのでした。
5話を見たときはなんか話の進まないギャグ色の強い回だと思ったけど。
8話のまんま転校生(映画)な投げっぱなしで終わる内容で理解したよ。
重苦しい内容の本編ストーリーに軽いお遊び回をはさんであるんだと。
時間軸が違う1話はともかく5話は違和感がなかったから気付かなかった。
本筋のストーリーにも(原作から)コメディ要素が含まれてるから。

なぜ本筋の内容がたったの9話分しかないかと言うと。
原作を読めば一目瞭然ですが原作に沿って作るとそれしかないから。
アニメは最初から(分割)2クールと決まってて原作は6巻しかない。
原作は6巻しかないから1クール作品だと思ってたんだけどね……
2クールなら1期が3巻までで2期が4巻からと考えるのが妥当でしょう。
丁度いいことに3巻の最後のあたりで物語が一つの区切りを迎えるし。
その前後で原作の方向性もずいぶん変化するし。
でも3巻分では内容をアレンジして膨らませないと13話にならない。
読みきりの体裁ならオリジナル回を入れればすむから簡単だけど
ストーリー体裁だと下手に構成をいじって拒絶反応を生む可能性が。
だから追加する分を本筋に挿入せずに番外編として追加したわけです。
オリジナル展開が嫌なら飛ばして見てくださいと言わんばかりに。
私的には大幅に手を加えてでも13話のストーリーで見たかったかな。

番外編的な1話はオリジナルではなく原作3巻の最後に入ってました。
つまり1期の最終回である12話のすぐ後のエピソードってことです。
原作だとその前に区切りが入るので1期より2期の雰囲気に近いすね。
だから本筋から離れた番外編の扱いとして最初に挿入したようです。
そして最終の13話は1話のセルフパロ(やりすぎVer)だったりして。
最初と途中はやりすぎると本筋のイメージをぶち壊しかねないけど
12話で実質最終回を迎えたからもう何をやっても大丈夫って感じで。
喫茶店の中なのに水着やらコスプレやら服がどんどん変わっていくし、
意味もなくポーズを取ってるし屋根の風見鶏とかゆっくりだし……

13話に出てきたマスターのタイムリープ超理論も凄かった。
痛んでヤバイ状態の牛乳を賞味期限前の過去に持っていけば飲めるとか。
過去に持ってったって変わらないのはよく考えればわかりそうなのに。
9話の痛んだサバ同様にその発想は諦めたけど今回はさらに新たな展開が!
賞味期限前に持っていって大丈夫な牛乳と取り替えればいいんじゃんと。
それなら確かに大丈夫になるけど今度は別の問題が発生するのだった。
アホな発想から不確定性原理やタイムパラドックスが絡む大問題へと……
そのへんの詳しい話は自分の目で確かめてってことで。

本筋のストーリーについて。
7話以降で最も大きな変化は加奈子とやよゐの登場でしょうか。
(ずっと二人で「面白い本を~」の小芝居をやってたけど)
実はグラサンがあらしを探してたのがこの二人の差し金だったのです。
いつまでたっても状況が進展しないので自分から姿を現したのでした。
そして加奈子とやよゐのエピソードで物語は一つの区切りを迎えます。
あらしたちがこんな姿で今も存在し続けてる意味も明らかになります。
バラバラだった欠片がキレイに組み上がって一つの絵になるのです。

特にタイムリープで過去に飛んで人を救う仕掛けが面白かった。
人助けといえば聞こえはいいけどそれって過去を改変してるわけだし。
しかも予め助ける人が決まってるわけではなく行き当たりばったりで。
そんな安易な行為で歴史を改変してしまっていいのだろうかと。
助かった人のかわりに消えてしまった人だっているかもしれないし。
しかしこの過去を改変する行為には意外な答えが待っていたのでした。
行き当たりばったりのはずの行為こそが歴史の必然だったというか。
ここも詳しい話は自分の目で確かめてってことで。

潤の男装についても事情が明らかになりました。
最初に男装してたことにはあまり大した意味はなかったようで。
ある種の女らしさに対して嫌悪感を持ってるのは事実みたいだけど。
勝手に想像してたそれと男装との関係性についてはなかったようです。
女らしさを強調する格好はあまり好きではないのかもしれないけど。
原作を読んでで思ったけどキャラ設定と行動の関連性が弱いかなと。
全体のストーリー構成もだけど経験の少なさが透けて見える感じです。
(この作者がストーリーモノをやったのは今作が初めて)
じっくり魅せるとこでさらっと流すとかシリアスも描きなれてないし。
アニメではそのへんの見せ方を変えて胸に響くようになってますが。
潤の男装の必然性も含めて大胆に内容を再構成しても良かったような。

ギャグ要素について。
原作から本編ストーリーにもギャグ・コメディ要素は入ってますが
アニメでは番外編として追加された分も含めて結構増やしてあります。
その最たるものは毎回のようにやってる「面白い本を~」の小芝居かな。
(途中までは)加奈子とやよゐが面白い本を読んだという話をするのです。
必ずタイトルを忘れてしまい内容の説明をするという流れになってます。
その本の印象とかけ離れた雰囲気のある絵と明らかに誤解を誘う説明で。
最後に答えの替わりに(ちょっと危ない)作中の決り文句を言うのです。
説明からイメージした作品と正解との落差に唖然とさせられるのです。
途中で正解がわかったのって絶望先生しか無かったよ……

「面白い本を~」の小芝居はやよゐが登場したあたりから変わります。
やよゐが弱って喋れなくなったのでカヤとマスターと潤の掛け合いに。
このバージョンは途中で他の人が答えを言っちゃうのがポイントです。
さらにこの3人のバージョンは毎回少しずつ体裁が異なっていました。
これこそがギャグの基本のパターンの繰り返しとバリエーションすね。
繰り返しとバリエーションを踏襲してたギャグは他にもありました。
奇をてらってるように見えて実は基本をきっちりやってるわけです。
新房アニメはただ無制限に枠組を踏み外してるわけではないのです。

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