あまりに強烈な千尋エピソードの結末がついにやってきます。
それを見終わった感想を一言で表現するなら。背筋が震えるほど凄かった。
11話の千尋の選択と最終回の(事実上の)ラストの仕掛けには脱帽だった。
そんなやり方があったなんて!と感嘆して、感動が目から溢れてきた……
この作品のように重い設定を使っている作品は他にも存在しています。
重い設定を使えばそれだけで作品自体の印象は強烈なものになります。
だから、と言うわけでもないけど物語の仕掛けは単純なのが多いです。
この設定だからこそ出来るストーリーみたいな作品は滅多にないのです。
重い設定を物語の根幹の仕掛けで使っているこの作品は稀有な存在です。
強烈な設定に負けない、設定を十分に使い切った作品は貴重なのです。
千尋の保護者で蓮治のアドバイザーの火村さんの口癖に、
「この世に奇跡なんてものは存在しない」というのが有ります。
そう、この作品のどこにも奇跡なんて存在しないのです。
絶体絶命のピンチを神様が助けてくれたり、なんてことはないのです。
事態をよりよく変えたいなら、とにかく自分が行動するしかないのです。
ラストに奇跡のようなことが起こるのも二人の行動の結果なわけだから。
奇跡じゃないのにまるで奇跡のようなラストなのがとても感動だったよ。
話は9話の千尋の記憶が消えたところまで戻る。
千尋の記憶が消える事態に際して初めて見えてきた事がありました。
かすかに引き継いだ記憶だけとはいえ繰り返してる事実は知ってた。
それを全て忘れてしまったので千尋の主観では事故直後なわけです。
そう思ってる人間に今までこう過ごしてきたと自分の日記を見せられる。
そこに書かれていることは、延々と何もない変わらない日々の繰り返し。
「こんなもの読んでも読まなくても同じです!」と千尋は吐き捨てた。
このシーンを見ながら何だかとても人間的な反応だななんて思ったよ。
蓮治が最初に会った頃の千尋は人として何かが欠落してたのだなと。
千尋が諦めていたのは物語を書くことだけではなかったのだなと。
蓮治が千尋と三度目に会った時。
空を見ている(ような)千尋に蓮治は何を見てるの?と尋ねるのです。
この時千尋は「何も見ていませんでしたけど」って最初答えてた。
空を見てたのでは?って言われて、空を見てました、と言いなおしてた。
この何気ない二人のやり取りにはとても重い意味が含まれていたのです。
終盤の千尋のある告白の中でその時の行動の意図が明かされたのでした。
(それについての具体的な内容は自分の目で確かめてね)
これを知ると序盤のただ可愛く見えたシーンの印象が全く違ってきます。
たった3回会っただけで泣いて抱きついてきた理由が痛いほどわかります。
普通なら再見しても初回ほどの感動は無いのに、この作品は違うのです。
8話の最後に千尋は蓮治のことを完全に忘れてしまった。
いったいこの物語はどこへ行くのだろう?と全く見当もつかなかった。
自分の日記を読み返して蓮治に怒りをぶつける姿は別人のようだった。
しかし日記が今に近づくにつれて蓮治の知る千尋に近づいていった。
いや、意識的に蓮治と会っていた以前の千尋と同じになろうとしてた。
千尋のあまりの変貌ぶりに驚いた。少し都合がよすぎではとも思った。
でも千尋の視点で考えるなら前の千尋になろうとするのは必然だから。
ここまで見た人には理由なんて説明するまでも無いことでしょう。
それにこのすぐ後に千尋自身がその答えに相当する話をしてくれるから。
(ここも具体的な内容は自分の目で確かめてね)
記憶を全て失う前に近い状態に戻った千尋が言うのです。
記憶って何なのでしょう?記憶が変わると人格も変わるのでしょうか?と。
これ偶然にも前回(5~8話)に書いたっすね。記憶はほぼ人そのものだと。
記憶が変われば性格は変わるし、自我も変わると言ってもいいかも。
でも自意識という意味では記憶が変わり性格が変わっても同じ人ではある。
千尋が言って蓮治が否定した(かった)以前の私は死んだのかもという話も、
絶対にそんなこと無い、と言い切れるほど脳の構造は単純ではないのです。
物語の終盤に蓮治と千尋が恋人としてデートするシーンがあるのです。
この物語の中でも最も幸せそうな楽しそうな光景が展開していくのです。
あまりに幸せすぎる光景なので逆に怖かった。とても嫌な予感がした。
死亡フラグ。世間的によく使われる表現に喩えると、そんな感じだろうか。
デート中の千尋がいつもに比べてやけに涙もろいのがとても気になった。
映画がハッピーエンドで本当に良かったと泣いてるのがとても気になった。
そして「ハッピーエンド」という言葉の意味をすぐ後に思い知ることになる。
この後に来る展開を知ってればこの時の千尋の気持ちは痛いほどよくわかる。
全てを知った後にこの楽しそうなデートを見返すのは結構ツライものがある。
ハッピーエンドとは言葉どおりの幸せな結末。
だけど現実には絵に描いたような完全に幸せな結末なんてない。
楽しいこと幸せなことは苦しいこと辛いこととは切り離せない。
みんなに一点の曇りもない幸せな結末など存在しないのだから、
自分にとって次に良いと思える結末がハッピーエンドなのです。
だから千尋の選択は彼女にとってのハッピーエンドだったのです。
それが「女の子にとって最も幸せな終わりかた」だったのです。
実際のところ理性的には千尋の選択が正しいのです。蓮治にとって。
そして感情的にはその後の蓮治の選択が正しいのです。二人にとって。
(詳しいことは書かないので自分の目で確かめてね)
この物語の最後の最後にホントの意味のハッピーエンドが来ます。
だけど物語が終わった後に楽しいことだけが待ってるわけじゃない。
むしろこれからもずっと困難と向き合って生きていくしかない。
それでもなお蓮治と千尋は二人で一緒にいたいと選択したわけです。
これぞまさしく「愛」だよね。それも極限の愛のカタチ。
ラブストーリーが大好きで今まで腐るほどラブストーリーに触れてきた。
だけど、これほど素敵なラブストーリーにはそうお目にかかれないよ。
それほどこの物語は良かった。凄い良かった。大好き、と繰り返したい。
この作品を見終わって、心の中がこの作品でいっぱいになって、
他のことをしなきゃいけないのに、とてもやる気が起きなくて、
それでついつい蓮治と千尋の話だけを抜き出したDVDを作ってみたり。
この千尋エディションで見たら全編を見た時より感動が何倍も大きかった。
※「千尋エディション」の詳しいことは次(↓)の記事に書いてあります
何度も見返したくなって、作った日から毎日のように見返してしまってた。
既に完成版の千尋エディションを通して4回も見返してしまったほどです。
とても好きなシーンを部分的に見返した回数は数え切れないほどだし。
何度も見返したので、ふとした瞬間にシーンがフラッシュバックしてきます。
外出前に見ると大変なことになるので我慢してるのに外出先でヤバイことに。
放送版を最後まで見終わった後、2007年の私的ベストを更新しました。
実はこの時はコードギアスを1位にしてefを2位にしてたんです。
凄くいい作品ではあったけどコードギアスほどではないかなと。
しかし、千尋エディションを何度か見てたら気が変わりました。
これだけの内容と怒涛の感動は文句なしに2007年の1位だろうと。
コードギアスも完結していたらどーなってたかわからないけどね。
実はefの1位と言うのは「千尋エディション」の評価だったりします。
放送全編の評価だと2位な気もするので、ちょっと反則かもしれない。
2003年1位のD.C.だって事実上後半の評価だからまぁこれもアリかなと。
それに抜き出して繋いだだけなのだからこの作品の実力には違いない。
誉めてばかりはなんなんで不満点も。
この作品の新房さんに近い表現スタイルに戸惑う人は少なくないでしょう。
でも私は以前から挑戦的な表現スタイルが好きなのでそこは問題ないです。
※新房フリークだと公言してるし
とても雰囲気のある美しい光景を見せていく手法なんか凄く良かったし。
2本のエピソードが平行して展開する手法も初体験で興味深かったよ。
片方の話だけ抜き出した千尋エディションとか作っといてなんですが。
じゃあ何が不満なのかと言うと……
それはエピローグです。事実上のラストシーンの後にある部分。
千尋パートは12話のAパートの最後で事実上エピソードは終わるのです。
同様に紘パートは10話のBパートの最後でエピソードが終わります。
そして12話のBパートは全員のエピローグを描いてるのです。
最終話のBパートがエピローグという構成は実は珍しくはありません。
しかしこれのようにクライマックスにドカーンと情動が振り切れる作品は、
あまり長すぎるエピローグだと感動が水で薄まってしまう感じなのです。
2本のエピソードが並立してるから最後はああせざるを得ない気もするけど。
千尋エディションに比べて全編の感動が小粒なのも並立してるせいだから。
2本立ては手法としては面白かったけど結果的に裏目に出てたのかなと。
実は千尋エディションを作った理由の一端はこの不満があったからです。
そんなすっかり邪魔者扱いしてる感じの紘パートについて。
一応念のために書いておくけど紘パートがダメなんて思ってないです。
むしろラブストーリーとしてはとてもよくできてるし、好きな内容です。
物語中に特筆すべきシチエーションがいくつも存在してるぐらいだし。
ただ千尋パートがあまりに凄すぎるので影に隠れてしまってるだけです。
絶望した!よくできた内容なのに影に隠れてしまうことに絶望し(以下略)
紘パートで特筆すべきシーンと言えば前に書いた7話の携帯電話のシーン。
そして6話の景とみやこのセリフの刃が飛び交う踏み切りのシーン。
クライマックスである10話の景との別れと関係の再生のシーン。
物語のラストであるカウントダウンしていくみやことの電話のシーン。
表現的には他にもいっぱいあるけど特に印象に残ったのはそこらへん。
それはラブストーリーとして特に重要なポイントだからでもあるかな。
映像表現はあくまで物語を伝える手段なのだと実感してしまうよ。
景との別れのシーンがあるということはつまりそーいうことで。
前回書いた内容は思いっきりネタバレだったけど、もう仕方ないか。
残念ながら1話で物語が動き出した時点でこの結末は決まってたから。
そこに至るまでにどう展開するか、それを見守るしかなかったのだから。
だから景との別れのシーンもついに来るものが来たという感じだった。
でもその内容は頭の中で思い描いていたシーンとはかなり違ってた。
好きですと告白して断られるのは恋愛モノでよくあるシチュエーション。
だけど振られた後の別れの前に好きですと言う作品は初めて見たよ。
ダメだと判ってるけどそれでも自分の気持ちを伝えたいとかではなく、
言葉にして伝えるまでもなくとっくに相手に気持ちは伝わってたのに、
それでも言わずにいられなかったみたいな。見ててズキっとくるシーン。
だからこそ、恋人にはなれないけど関係を再び紡いだのが感動的だった。
ここは紘パートで最も感情を揺さぶられたシーンと言ってもいいぐらい。
にしても両パートとも別れのシーンに最も感情を揺さぶられるとは……
(千尋パートに関しては物語の核心なので自分の目で確認してね)
この物語を作った人に「いじわるです」と千尋のセリフを差し上げたい(笑)。
ちなみに千尋パート同様の紘エディションが作れるかというと、、、
単純に繋ぐことは可能だけど恐らく内容が足りないんじゃないかなと。
千尋パートは紘パートが無くても物語としては成り立つのです。
景のことが何度か出てくるけど作中の簡単な説明でも十分に足りてるから。
紘パートに事故に遭うまでの話があるから見ればより理解は深まるけど、
蓮治の視点が中心の千尋パートでは知らなくてもさほど問題はないのです。
しかし紘パートにおける千尋の存在は物語の根幹に関わってくるのです。
事故に遭った千尋は出てくるけどその後どんな状態かはわからないのです。
もっと単純な障害なら断片を繋ぎ合わせればある程度想像はつくけど、
千尋の障害はかなり珍しいので実際に見せないとわからないと思われます。
景の「あの子そんなことできる状態じゃないのに」が説明不足でないのは、
千尋パートで千尋の障害がどんなものか物語として実感させてるからです。
つまり千尋パートが有って初めて紘パートが成り立つと言えないこともない。
2本のエピソードが並立した構成は紘パートを描くために必要だったのかも。
あとは気になったことをいくつか。
紘パートには羽山ミズキという景の後輩がいます。
彼女の景の料理に対するあまりにストレートな物言いは凄く印象的です。
それは別としてもう一つ、とても記憶に残ったシーンが有りました。
それはベットに寝転がりながら携帯で景と話してるシーン。
そこで話してる内容がどーとか、構図がどうとか、服がどうとかではなく、
ミズキが使ってる携帯が自分の使ってるのと同じモデルだったってところ。
どっかで見たようなデザインだと最初は思ったよ。さっさと気づけ!(笑)
さすがに色はミズキが使ってるピンク(花柄)とは違うけどな。
もう一つ。この作品にはちゃんとエッチシーンが有ります。
恋愛のステップの一つの到達点として両方のエピソードに1回ずつ。
恋愛と性欲は表裏一体だから恋愛モノにエッチはわりと必然なわけだし。
エロゲーアニメだからあって同然、ではないのが今の表現規制の現実です。
今まで熱心に見たのでちゃんとエッチシーンがあったのって君望だけだし。
Canvas2なんか最後の最後にシーツに包まってる二人という構図だけだし。
D.C.だって前後の流れからやってるっぽいけど確定的な表現は全くない。
※やってるっぽいのは19話の最後のところ
AIRに至ってはどちらもエッチなシチュエーションの欠片もないのだった。
そんな感じなのでちゃんとエッチシーンがあるのは久しぶりに見たよ。
と言っても手を繋いでるとか、布団の中で裸でいるとか、だけですが。
体を絡めてるシーンとか艶かしい声を出したりとかは全くありません。
まるで一昔前の少女マンガのような露骨な隠し方にちょっと苦笑したよ。
※イマドキの少女マンガには体を絡めてるシーンも有ります
おかげで恋愛モノは好きだけどエッチな雰囲気が苦手な人も見やすいかな。
まぁ、その手の人がこの作品を見るかと言われるとかなり疑問だが(爆)。
サントラについて。
作中にはピアノや弦楽器を中心にしたキレイな曲が散りばめられてます。
いつもは試聴して確認するけど、いきなり買っていいとすら思ってます。
作品を気に入った度合いが高ければ多少曲がイマイチでも問題じゃないし。
(この作品の音楽がイマイチって意味じゃないです)
作品のイメージをリフレインするのにサントラは凄く便利だし。
サントラをリピートしてると作品のコメントが書きやすいのです。
だからリリースされたら即欲しかったのです。が、発売を2ヶ月延期……
おかげでOP曲と千尋ED曲の2枚のシングルを延々とリピートするはめに。
(他の2つのED曲は買ってない)
OPとEDで書くことをもう一つ思い出した。
この作品は新房アニメ同様にOPとEDが何種類も存在します。
特にEDは曲も映像も千尋・みやこ・景のヒロイン三人分が存在してる。
さらに千尋とみやこのEDは2パターン存在してたりして。
みやこは7話の他の二人と似た系統のEDが1回きりの特別版みたいだね。
最初あぼしまこさんの一枚絵のバージョンが暫定版だと思ってたけど。
千尋は11話だけセピアバージョンで曲の編集位置も違ったりする。
最終回もEDはシリーズエンディングと言うことで別の曲だったりして。
これはまた別にシングルが出るのだろうか!?
OPは曲自体は1種類しか有りません。
が、シングルを持ってれば知ってるけど実は日本語版と英語版があります。
そーいや月詠もED曲はバイリンガル(日本語・フランス語)だったなと。
ずっと英語版を使ってたので日本語版は使わないのかと思ってたら
なんと最終回に日本語版を使ったのでした。そして映像も特別版でした。
3話から11話までは同じ英語版で、映像もずっと同じだと思ってました。
しかし何か違和感があって確認したら7話からカラーリングが一部違ってた。
これって後半が正式版なのか?それともいつものように微妙に変えただけ?
※「ぱにぽにだっしゅ」は毎回少しずつ違う(らしい)
あと1話のアバン後のクレジットを流すシーンも特別版のOPと言えるかな。
では、続いて(↓)千尋エディションの話をどうぞ。
作った直後に書いたので文章を書いた時間が前後してますが。
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