1986年に公開された劇場用アニメ。DVDレンタル。
原作は
少女マンガの不朽の名作でもちろん持ってます。
遥かな未来。人がワープ航法によって広大な宇宙に飛び出してから幾年月。
人に似た異星人との接触・交戦を経て交流や婚姻がなされるようになった時代。
次代の中核を担う人材を育てるコスモアカデミーという大学が設立された。
この大学の入学試験には受験資格はないが合格率は実に数百万分の一だった。
主人公のタダは宇宙パイロットになる夢への道筋としてこの大学に臨む。
そして超難関の筆記試験をクリアし最終試験を行う宇宙船へと向かった。
最終試験は漂流宇宙船で受験生10人だけで53日間の共同生活をすること。
もしも何か緊急事態が起こったら赤いボタンを押すことで救助がやってくる。
ただしそれは試験の終了と失格をも意味するのだった。
赤いボタンを押すような事態を起こさず53日を過ごす。それこそが試験だった。
しかし試験を開始してすぐに彼らは重大な事態に遭遇する。
そう、受験生は10人のはずなのに、
ここには11人いたのである。
いったい誰が紛れこんだのか?11人目の目的は?疑心暗鬼が広がっていく。
そして彼らはアカデミー側すら想定しなかった危機に直面する。
これ当時、映画館に見に行きました。
と言っても目的は「扉を開けて」でこれは併映だった(汗)。
でも見終わった後にすっかりこの作品の方にメロメロだった(笑)。
まるで使用前、使用後みたいな展開だな……
その後原作を読んで作者の繋がりで「ポーの一族」「トーマの心臓」
「アメリカン・パイ」と読み進み最終的に全部集めるほど大ファンに。
さらに24年組の「日出処の天子」「綿の国星」「風と木の詩」等多数を
狂ったように読みまくりマンガの奥深さ素晴らしさを思い知ったのです。
それまでもマンガは読んだことあったけど凄いとは思ってなかったから。
この時を境に
マンガに対する評価は一変したという大きな節目だったよ。
そーいう意味でもとても思い出深い作品だったりして。
……このエピソード書いたの何度目だっけ?(汗)
当然ながらLDを買ったし今までに何度も見返してます。
懐に余裕があったならDVDだって買いたいよ。高いんだよ……
他に見たいものが山積みだし、LDだとサイズ的に出し入れが面倒で
ついつい後回しになるし、ってことで久しく見てなかったけど、
DVDレンタルが出たのがいい機会だからと借りてみました。
何度も見返してるということは当然筋を知ってます。
ミステリー展開なのに
オチや仕掛けを知ってるわけです。
それでも十分楽しめるのは物語の組み立てが素晴らしいってことで。
てゆーかこれ知る限り少女マンガの映画化作品では最高傑作だと思う。
まぁ、映画化された少女マンガって数えるほどしかないけど。
原作とアニメは大筋で同じ展開で。
原作は少女マンガらしくあまり空間や構造物の細部を描きこまないけど
アニメだとそのへんがきっちり構築されて物語世界の説得力が増してます。
会話や設定のディティールも原作より緻密になってる感じです。
キャラ造詣も
ヌーの「運命(さだめ)」の口癖のようにより鮮明に。
ストーリーも緊張感が最高潮に達するあたりの内容が膨らませてある。
もちろんただ原作に足してるだけではなく削ってる部分もあります。
特に原作の少女マンガらしいポップな表現はほとんどカット。
セリフやモノローグも可能な限り減らして語らず見せる手法に。
ストイックな表現スタイルがミステリーとしての緊張感を演出してる。
そのせいもあって少女マンガらしからぬ雰囲気に。
ちなみにフロルのお茶目な行動が原作のポップテイストの名残です。
他のポップ表現を削ったことでフロルの行動がより印象的になってる。
そしてラストのセリフも間合いを使って原作よりずっと印象的に。
アニメ→原作と見て
映像化の手法に感心したのはコレが唯一かも。
(ほとんどの作品の原作を知ってるからというのもあるけど)
原作に完全に忠実ではないけど原作のエッセンスを損ねることもなく
メティアの違いを生かしてより方向性の鮮明な映像化をする。
原作のあるアニメ化としても教科書になるぐらい素晴らしい作品すね。
原作ファンでも「そう来るか!」と感心できること請け合いですよ。
そうそう。
前にダフネのところでちらっと書いたけど
タダが記憶を思い出していくシーンはダフネのクライマックスと似てる。
と言うか改めて見て思ったけどそれ以外の仕掛けも結構類似点が。
(ウイルスで絶体絶命とか子供に未来を託すとか記憶喪失とか)
たぶんダフネの構成の人も監督の人も
この作品を見たことあるね。
だって仕掛けどころか映像の見せかたもそっくりだったりするし。
この映画を知っててダフネを見た人なら感慨深いものがあったはず。
そんな人は全国で3人ぐらいしかいないかもしれんが(笑)。
20年前にアニメを見てて今も熱心に見てる人がどの程度いるか(爆)。
あ、20年前で思い出した。
スタッフクレジットを見てて意外な発見を。
なんと撮影のところに
大地丙太郎さん(こどちゃ・フルバ)の名前が!
つい最近この人も撮影から演出に行った人だと知ったけど
こんなとこにいたとは!!!20年ぶりに知る驚愕の新事実(笑)。
そんなわけで
オンラインレンタルにもある(オンラインにしかまずない)ので是非見れ!
スポンサーサイト
この作品の舞台はド田舎でお店はコンビニみたいなのが一つぐらいだし
人工的な遊ぶ場所なんて当然のようになかったりするわけで。
だからなのか、ちょっと
散歩するというシチエーションがよく出てきます。
限られた空間を行ったり来たりするので次第に位置関係が見えてきます。
普通ならもっと目立つランドマークを並べて地図を描いていくんだけど
この作品だと小さい橋とか、瑣末な交差点とか、普通のバス停とか、
そんな省略してしまいがちなポイントを並べて地図を作っている。
何もなさそうでも注視すれば何かは有るし空間は作れるという見本すね。
散歩にはもうひとつの意味があるのです。
それは登場人物同士による会話。
そんなのどんな作品でも当たり前、と思うかもしれない。
でも、この作品はその当たり前の会話をより重点的に描いてる。
会話を重点的に描くことで
人間関係を鮮明にクローズアップしてる。
例えば5話で海野がバスに乗った時、先に乗ってた美紀を見つけて、
やなヤツに会ったって感じで話しかけはしないのです。
でも美紀は(別に嫌いではないみたいだし)知り合いだしと話しかける。
この時の海野の受け答えは会話のキャッチボールと言うよりは、
受け取ったボールを
明後日の方に投げ捨ててる感じだったすね。
しかも一度会話をぶち切っといて改めて「私あなたキライ」とか言うし。
この時の美紀の目線を左右に振った後に前髪をふっと吹くとこなんか、
そうハッキリ言われたらどーリアクションしたらいいのやらって感じで。
海野は拓馬が好きで付き合ってると思ってる。
でも拓馬は
付き合ってるつもりはなかったりする。
なんとなく付き合ってるようで、でも懐に踏み込むのを許さない。
自分にはそうなのに美紀には優しい態度なのが海野には気に入らない。
だから海野の敵意が美紀に向かうのも無理からぬことで。
当然だけど美紀もそれは薄々気付いてたわけです。
でも美紀は「海野への態度はヒドイ」と拓馬に言ってたりもする。
よーするに美紀は(今は)拓馬のこと何とも思ってないわけで。
拓馬の方は美紀の方に未練たらたらみたいだけど。
(確か前に付き合ってたって設定だったはず)
人間関係と言えば歩(主人公)と父親の距離感なんかもそう。
特に仲が良いわけではなく嫌ってるわけでもない普通の関係。
ても日頃まめに会話してないので距離感を計りかねてる感じ。
よーするに
会話の呼吸が合わないと言うか、テンポが悪いのです。
しかしそれがいかにもこの年代の子供と父親って感じがする。
逆に母親との会話だと呼吸を気にせず母親は喋りまくってる。
ここでは携帯電話だけど対面でも似たような感じだろうね。
このへんもいかにも母親と息子って感じの関係だったり。
そして歩が不登校という設定も人間関係に関連してる。
最初はその設定がイマイチ見えてなかったけど、
どーやら歩には
他人との関係が煩わしいって意味のようで。
なりゆきで親しくなった亮介の「オレ達は友達だろう?」ってセリフに
「それはどーかな」って返しちゃう態度が全てを物語ってるかも。
わっくんと会ったことのある歩と美玖の二人の共通点だって
自分のテンポが大事で他人との関係が煩わしいって部分だし。
どーやらこの作品は不思議を絡めつつ人間関係を描いていくようで。
7月からテレビ朝日系(3局)で火曜日の深夜に放送してる新番組。
作品の舞台は瀬戸内の海と街並が山に近くて人と自然が同居した場所。
主人公の一橋ゆりえは普通の中学生なのに、突然
神様になってしまう。
何の神様かはよく分からないけど願ったら台風すら起こせてしまった。
自分の家(神社)の繁盛のためにゆりえを利用する祀(まつり)に流されつつ、
自分の力に戸惑いながらも人のためになることを頑張るゆりえだった。
まず一見して感じたのが
すっごく雰囲気がいいってこと。
自然がいっぱいの風景に穏やかに時間が流れていくような感じ。
でも絶対少年みたくド田舎ではなく、ちゃんと人はいて活気もある。
そして「さびしんぼう」で見たような光景が延々と展開するのでした。
つーか舞台はまさに尾道すね。エンディングにクレジット出てるし。
モデルがあるとはいえここまで存在感のある空間描写は素晴らしいね。
モデルのない神様の休憩する場所?のビジュアルにも感嘆したけど。
しっかりした空間描写でごくあたりまえの日常の生活や風景を描いてて、
不思議なことすら
まるで日常のヒトコマのように描いてるのです。
不思議な出来事も普通の人間レベルのスケールで展開したりするし。
街の人もゆりえが神様なのを騒ぎもせずあっさり受け入れるちゃうし。
見てて南海奇皇(ネオランガ)がやってたことに近いかも?とか思ったよ。
ビジュアル的にもストーリー的にもさほど派手さはないけど、
みょーにツボに来るというか、ワクワクしてくる内容なのでした。
オープニングの映像について。
1話は本編に曲が被っててオープニング映像は2話から。
ただし2話と3話は本編(主に前話)の映像を編集して使ってるのでした。
いわゆる暫定版なんだけど、ゆったりした曲と本編の映像のテンポが
上手いようにシンクロしてて
これはこれでいい感じとか思ったり。
だから4話からの完成版でも映像のテイストはさほど変化ないです。
主な違いは舛成(R.O.D)さんお得意のクレジットを絵に埋めこむとこ。
(監督と脚本などの組み合わせかR.O.D THE TVと同じ)
オープニングの曲は
「やさしさに包まれたなら」のオマージュ?
※魔女の宅急便のエンディング主題歌
旋律や構造とかはずいぶん違うんだけど曲の持つ雰囲気がそっくり。
そんな曲調としっかりした現実描写でゆったりしたテンポなんで
宮崎アニメのよーな雰囲気をOP映像が醸し出してるのでした。
7月からテレビ東京(のみ)で月曜日の深夜に放送してる新番組。
AT-Xでも8月からやるので地上波で見れない人はそちらで。
西部劇のようだけどメカだけが不相応に発達してる有りがちな世界観。
そこにヨロイと呼ばれる巨大なロボットが出てくるという微妙な世界観。
主人公のヴァンが旅の途中に寄った街はならず者に目をつけられていた。
ひょんなコトからならず者を倒してしまったヴァンは用心棒を依頼される。
助ける義理はないとその場は断るが、いろいろあって結局助けてしまう。
そして
お嫁さんになるから街を助けてと口走ったウェンディと旅することに。
正確に言うとウェンディが同じ人間を追うならと勝手について来たんだけど。
絵のイメージではトライガン?それかも少し渋い雰囲気の話と思った。
しかし実際に見てみると
ジャンプとかでよく有る系のテイストだったり。
第1話のならず者のボスのバカっぷりなんか実にそれっぽいし。
さらにギャグ作品じゃないのに3話で合体ロボとかやってるし……
そもそもこの世界観でいきなり巨大ロボで戦ったらブチ壊しだろうよ。
なんつーか、カッコつけてるんだけど激しくスベってる感じ。
にしても倉田(R.O.D)さんと谷口(プラネテス)さんの組み合わせでこれかい。
「かみちゅ!」との
脚本の落差はナニ……